ママセラピストの心の庭:気づきと変容

ママセラピストの心と魂の調和、気づきと変容の共有日記

EMセラピー12回目記録と気づき

EMセラピー12回目

 

記録として残していますが、正直今書きながら書きたくないと抵抗しています。

セラピーもでしたが、抵抗の回でした。

 

セラピー前の会話で出てきた自分の気づきは「神社、好きじゃない」という言葉でした。「興味がない」という気持ちだとずっと思っていたのですが、自分の口から出たのは「好きじゃない」で、ああ好きじゃないんだ、という気持ちでした。

なぜその答えだったのか、潜在意識に潜るためのとっかかりになった気がします。

もしくはもうテーマとして決まっていたんでしょうね。

 

今回も過去生のようでしたが、見たくない自分もあってふんわりと、でも本当は分かっていて見たくないからフォーカスしない感じでした。

 

ふんわり見えたのは古い時代の日本の神社のようなところで、神事を行っているところです。その神事が私にとってはあまり正視したくないもので、でも自分がその中にいるのが感じられました。

 

そこから別の意識へ飛びます。

 

近くにいる人は?という誘導に出てきたのは

天照大御神卑弥呼

卑弥呼の鈴を鳴らす姿が見えました。

あの鈴は神楽鈴というのですね。舞を神楽舞。

一番初めに今のセラピストさんと会ったのも神楽坂で、ここは意外な伏線回収でした。

 

他にも名前からの自分の使命や役割を紐解いていきましたが、いろいろこの見えたものとのリンクもあり、書きたいところなのですが、まだ自分の中でもやもやが晴れなくて、記録に残すには気持ちが追いつきません。

かける時が来たら書きたいと思います。

 

今回は抵抗している自分がいたのもあって、最後寝てしまっていました。いつもは半覚醒状態なのですが、完全に意識をシャットアウトしてました。

 

終わった時にはいつも以上にヘロヘロでした。

 

味わっているのは悲しさやくやしさ、怖さなど。やりたくなかったことをやっていたことへの気持ちです。

そのあと一日その感情を味わってぐったりしていましたが、何かすっきりしないのです。

そのもやもやが何なのか一日向き合ってみました。

そうしたら急に来ました。

搾取されていたことが嫌だったんだと。

自分の才能の発揮ややりたいと感じていた気持ち、誰かのため、何かのため、という気持ちを都合の良いように搾取されていたことそのことに怒りをもってそして許せなかったこと。

そんな気持ちに気づきました。

悲しくて悲しくて、今はこの感情をただ自分の中で消化しているところです。

 

もう一つ納得できた発見が。

 

20代のころよく国内旅行に行っていたのですが、なぜなのかが分かりました。

海外が怖かったのはもう理由が分かっていたのですが、国内旅行は単に日本での過去生が少ないからだろうと思っていたのですが違いました。

日本での過去生はあったのですが、どれも外へ出られる機会が少なかったこと。外へ出かける楽しみを許される時代ではなかったことの二つがあったからでした。

前者は巫女として神事に身を捧げていたこと。後者は戦争の時代であったこと。などが挙げられます。

 

これが分かっただけでもとても納得です。

 

まだいろいろな感情を秘めている今回のセラピーまだ終わってないと自身で感じるので引き続き向き合っていきたいと思います。

 

過去生での巫女のイメージ



 

EM11回目の気づき

今回のEMセラピーに参加する前の日からなぜかお腹がすいてお腹がすいて。

いつもは夕飯の後は何も食べないのですが、この日は夕飯後にカステラを食べました。

次の日も朝ごはん食べたのにお腹がすいて。

 

何なのかなと思ったら、今回の過去生。

ゲルで待っている間お腹がすいていたんだね。

あの時お腹がすいていたから食べたかったのだと感じました。

あとなぜかセラピーの帰り道、無性にハンバーガーが食べたい気持ちになりました。これも彼女の気持ちが満たされる何かなのかもしれないな、と感じました。(普段ハンバーガー食べないので。)

 

ハンバーガー気になって調べてみました。

起源はアメリカやドイツなどいろいろな説がありましたが、こんな説もありました。

「13世紀ころの騎馬民族タタール人が食用の肉を柔らかくするために乗馬の際に馬の背中と鞍(馬の背に置いて人を載せる革、もしくは木製具。)の間に挟んでいたのがハンバーガーの起源だそうです。」ネットの記事なのでどれが本物かまでは見極められませんが…今回はそれは置いておいて。

騎馬民族タタール人は広くモンゴルのあたりの民族だったようです。そのことをみつけられただけでなんだかハンバーガーを食べたいという気持ちが報われたような気がします。

意味があるかないかそれは分かりませんが必要そうな気がするのでハンバーガー近々食べに行こうと思います。

 

もう一つ。

さらに少し前、どうしてもチーズケーキが食べたくなって、というか作りたくなって、ベイクドチーズケーキを作りました。お友達にもふるまいましたが自分でも何回かに分けて食べました。

普段はチーズケーキをそんなに食べることもないので不思議に思っていましたが、もしかしたらこれも今回に何か関係あるのかなと。

 

チーズケーキについて調べてみると起源は古代ギリシャまでさかのぼります。

libum,savillum,placentaという神に奉納されたチーズケーキのレシピがあったそうです。

ギリシャの過去生や神との関係の過去生も確かにある。)

チーズ、はどうかなと調べたらモンゴルの歴史で紀元前3世紀ころにはチーズが作られていたそうです。

この辺が関係していてチーズケーキが無性に食べたくなったのかな。

 

またモンゴルの歴史を見ていたらモンゴルではシャーマニズムという宗教観があるそうです。

これを知った時に今回の過去生の女の子もシャーマンとしての何か役割があったのかもしれないなと思いました。

どうしてこの子の両親は帰ってこれなかったのかが不思議で。

もしかしたら何か紛争や争いに巻き込まれたことで帰ってこれなかったのかもしれません。それを感じ取った彼女はここにいてはいけないと思ったのかも、とあとから感じました。

 

結局何が正解かは分かりませんが今は気になることはやってみようと思います。

これでこの時の過去生の彼女の気持ちが完了すれば気持ちを残さず次に進めるように思います。

 

EMセラピー11回目記録

11回目記録

 

今回は男女関係を深く見る回でした。

 

急に出席することになった今回。どんなテーマが自分の中にあるかも意識せずの参加でした。

感じることをシェアしあう中で、そういう想いあるよね、いやだって思うことあるよね、と話し合いが進みました。

そういうテーマで自分の中でも潜在意識の旅が始まるのかなと思っていたら…

 

少し自分が思っていたものとは違いました。

 

始まりは自分がこの世に一人、自分の気持ちを誰にも分ってもらえなさそうだという悲しみから。

そこからたどり着いたのは過去生。

毎度のように過去生が出てきますが、先日の一旦過去生の学び終了があってから、出てくるのは今までにないパターンの過去生です。

 

見えるのはモンゴルの草原。ゲル。私は三つ編みをした少女。周りに人はいません。

両親は放牧のため羊か山羊を連れて遠くまで行ったようです。

私は一人ゲルで両親の帰りを待っています。しかし待っても待っても両親は帰ってきません。

一人で何日も何日も過ごします。いよいよ食料もなくなりお腹がすいて仕方ありません。そこでこの女の子は決意をします。ここを出て外へ行かなければと。

外へ出ることを決めたことで人に出会い、新しい自分の家族を作り、新しいコミュニティを作ることができました。そこで彼女は幸せな時間を過ごすことができました。

 

珍しく幸せな過去生で嬉しくて優しい気持ちになりました。

そして彼女からバトンを渡されます。次はあなたの番だよと。

 

今回は男女というよりも自分の中にあるものの統合、引継ぎのような感覚でした。

 

彼女は私の中にいます。

 

以上11回目。

 

モンゴルの草原に佇む少女

 

EMセラピー10回目記録

10回目記録

 

10回目はお金や豊かさがテーマの回でした。

 

前回で自分の過去生からの学びはいったん終わり新しいものが出てくのるかと思いましたが、やっぱり過去生でした。

ただ、今までにはない時代、場所、少し複雑な形でしたが

しっかりと新しいステージへ進んでいることを実感しました。

 

今回はアメリカの西部開拓時代でした。

私は裕福な家庭の女の子のようです。女の子の視点からこの場面を見ています。

大きな道の通りに馬車が見えます。その馬車が見えたと思ったら、私は貧困層とみられる人々に身の回りの物や金品を奪われてしまいます。やめてと言ってもやめてもらえず、子どもの私は何もできずにいます。私だけでなく家族やその周りの富裕層の家庭も同じように襲われています。

 

すると視点は上からに変わります。

この視点は、神や天使といった人間とは別の視点です。

多分この少女の過去生なのかもしれません。若干複雑に絡まっていますがここからは上からの視点になります。

『人間は争う』『人間は略奪する』『奪う』

「しかし、本当は奪う必要などなく、すべてに分配されるようにできている。人とはなぜこんなにも愚かなのか」

このように感じていたようです。

 

本当は奪う必要も争う必要もないのに、なぜ私たちは争いをやめられないのでしょうか。

そこには恐怖が含まれているからかもしれません。

 

自分の中にも同じようにお金が争いを生む、自分には争いや略奪を招くお金を手にすることは怖いことだと植え付けてしまっているのかもしれません。

 

潜在意識の旅はここまででした。

 

略奪のような悲しみにお金が使われるのなら、喜びや楽しさにお金が流れたら嬉しい。そう感じた今回のセラピーでした。

 

お金を受け取ることにまだまだ抵抗がありましたが、豊かさの河が大きくなって流れることに自分も一役買うことができるのであれば喜んで受け取りたいと思いました!

 

以上10回目。

西部開拓時代の少女イメージ



 

EMセラピー9回目記録

9回目

 

今回のテーマは発信。

発信することの恐れは何か。

私の場合は間違ってはいけない、ということがあるかと思います。

現世では親からの「ちゃんとしなさい」という見えないプレッシャーから間違ってはいけないということ。

過去生からは昔視てもらった「私のせいでみんなを間違った方向へ導いてしまった」と思い込んでいた過去生がブレーキとなっていたこは自覚していました。

これも厳密には私のせいではなくいろいろなタイミングや予期せぬ出来事で結果的にそのようになってしまただけ。

 

 

そして意識を潜在意識へ向けていくと、今回は先述した過去生についての事柄からでした。

私のせいじゃない。

なのになぜこんなにも自分に非があるかのように感じるのか。

みんなを救えなかったことは本当に私だけの非なのか。

すべてを私のせいにする必要はない。私のせいにしてるのはその時のみんなの気持ちも汲み取っているからなのではないか。

私のせいにしないでほしい。

自分の問題を私に問題をすり替えないでほしい。(ここは親子関係の話も含まれてます)

みんな個人の問題を私のせいだと言うことで自分の問題に向き合っていないのではないかという考えに至りました。

 

そしてそこから自分の過去生たちにも視線は向けられ、

今生きている私に「過去生のみんな(自分)」は解決してもらおうと頼りすぎなのでは?という考えに至りました。

もちろん過去生の私は私と同一な存在なのですが、それぞれが過去生で成し遂げられなかった、向き合いきれなかったっことを現世の私に頼みすぎなのではないかと。

そう思ったら、私は私の人生を生きるから、みんな自分の過去生で解決して!ということになりました。

 

知らないうちに過去生の自分は自分でありすべて現世の自分が解決すべしと考えていたのでしょう。

しかし、それは私でなくそれぞれの問題。

自分たちで解決してください!ということで私の過去生からの学びはいったん終了したのです。

 

長い長い道のりの終わり。

もちろんまだまだ学びはあると思うのですが、一旦学びは終了ということになりました。

そして発信については

個人の問題はそれぞれ個々の問題であり、私が発信することはただ何かを感じてもらうだけのきっかけに過ぎないということに達しました。

 

まったく怖さがなくなったかというとそれはありませんが、少なくとも以前よりは発信の怖さが軽減したのは事実かと思います。

 

 

心と魂の調和スピリチュアル・リトリートサロンLucent Sign

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